畳は日本で発祥し発展してきた伝統文化で、古くは管畳八重や皮畳八重といった古事記に登場しています。
はじめのころは床に敷き込むのではなく、板の間にござを重ねて敷いたり、寝具として使っていたと考えられており、現在のような畳の構造になったのは平安時代ごろからのようです。
鎌倉時代から室町時代にかけようやく畳を部屋全体に敷きつめる様になりました。
すると、高貴な人や客人をもてなす部屋として利用されるようになり、建築床材として扱われるようになっていったのです。
当時畳は貴族や武士の富の象徴としてとても価値の高い物で、一般の人は使っていません。良く時代劇で大名様が畳の上に畳を置いていますが、あれが初期の畳の姿です。昔はとても位が高い方しか畳を使ってはいけなかったんですね。(笑)
桃山時代から江戸時代には、数奇屋造や茶道が発展し、畳が普及していきました。
ただ、まだ一般には浸透せず身分が上の人々しか使う事ができなかったようです。
ごくごく一般に使用できる様になったのは、江戸時代中期以降と言われており、畳師・畳屋と呼ばれる人々が現われ始めたのもこの時代と言われています。
その時代になると畳干しする家々の光景が良く見られたそうです。
畳は昭和の終わりにかかるまで1000年以上形を変えず愛されて続けてきましたが、平成に入り色々なタイプが登場してきました。
熊本には、い草発祥の証となる岩崎神社があります。
今から500年以上も前の戦国時代(永正二年1505年)に、この土地の城主であった岩崎主馬守忠久公(いわさきしゅめのかみただひさこう)が、い草を植えさせ栽培を広めました。
現在熊本は第一のい草生産地と発展していますが、この地域ではい草の生産が定着したことで、これまで数々の危機を乗り越えてきたという歴史があり、岩崎神社で岩崎主馬守忠久公をい草の神様として祀っているのです。
置き畳、畳カーペット、洗える畳、遠赤外線畳などさまざまな目的や用途に合った新しい畳が今脚光を浴びています。
温故知新という言葉がありますね。日本古来から伝わる伝統文化を絶さずに、新しいものとうまく使い分け畳に親しんでいただきたいと思います。
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